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Rise, Ye Sea Slugs! <浮け海鼠!>の日本語書評 |
又は、和訳書評
五大学
(Amherst, Smith等)
のLiterary
Translation
誌、Metamorphoses
2005春号 大書評その一 近代日本文学(pmjs)のリストサーブを通して、始めてこの本の存在を知った私は、その題はもとより「ロビン・ギル編集翻訳によるHolothurian(ナマコ類)の俳句一千句」という不思議な副題に、いたく好奇心をそそられた。 その時の私はHolothurianとかいうものが、いったい何ものかも知らなかったのだが、最近京都で味わったたいへん高価な夕食のなかに、そのHolothurianの内臓(このわた)なるものが一つまみ出てきたので、今ではちゃんとその正体を心得ている。それにしてもナマコの俳句だけに、480ページもの紙面をほんとうに割けるものだろうか? ところが驚くなかれその答は、おおいに「イエス」なのだ。 はじめから終わりまで通して読むのはたいへんとはいえ、この本にはすばらしい蘊蓄と洞察とが溢れており、専門家にも一般読者にも断然広く読まれる価値がある。 ところでこの不可思議な本に称賛を浴びせるまえに、まず二、三但し書きをしておくべきだろう。 まず最初にsea slug (「海のなめくじないしウミウシの意—訳注)は、Apostichopus japonicusという生きもので、日本では普通[ナマコ]、英語ではsea cucumber(海の胡瓜の意—訳注)と呼ばれている。 翻訳の際これを「sea slug」あるいは略して「slug」と詠んでしまうのは、詩歌上の自由と言えよう。それに集められた日本の俳句は千句と言うより、正確にはむしろ九百句ぐらいのものなのだが、そんなことにこだわって、いちいち勘定したりする必要がどこにあろう? とにかく、このナマコの本は稀な宝ものとして日本文学者、俳句や自然愛好家、翻訳家だけでなく、誰であれ数百年ものあいだに、ナマコなんぞというパッとしない生き物を句題に書きつがれた俳句を、なぜまた集める人がいるのか不思議に思う人々の書棚や掌中におさまってしかるべきと、私は思う。 標題作は日本で最も愛されている俳人のひとり一茶が、19世紀はじめに詠んだ一句である。 浮け海鼠仏法流風の世なるぞよ これらの句の翻訳に注がれている著者の配慮のほどは、この本全体の構成を見れば明らかだ。句という句のすべてに、先ず日本語原文、それにローマ字の音訳、次いで英語直訳での語句注解が続くが、ややぶっきらぼうな英単語に専門的かつ文法的な標識がたくさんついたこの語句注解は、日本語を解せぬ人には役立つとしても、概して解読しにくい。 著者ギルは多くの句に一つならず数例の翻訳をつけて、さまざまな解釈の可能性を示している。 ギルの手によるその翻訳は簡潔で的をえており、しばしば優雅な味わいがある。 これほど翻訳を詳細に説明してある俳句の英訳書は、私の知る限り他に類を見ない。 すでに熟練した翻訳家であり、俳人でもある(本書中百句以上が敬愚というペンネームをもつ著者の作である)著者は、芸術としての翻訳の強力な擁護者でもある。 どの句にも彼の翻訳のあとに続いて、それぞれ微妙に異なる解釈のあいだを日本文学、歴史、現代の文化についての余談、さまざまな色合いの逸話、ときには暴言までが自由に往来する。 こうした構成の一例として、20章「the nebulous sea slug」の冒頭を飾る17世紀の俳人芭蕉の門人だった露川の一句(p.287)のローマ字による音訳、語句注解と四通りの翻訳例(しめて七通り)を示すことにしよう。 生海鼠哉夜か明けたやら暮れたやら 露川 (英訳を見たければ、AmazonかGoogle Printで rosen とか kureta yaraを捜索) 各句の題をつけたのはギルで、その句の作者ではない。翻訳のこの七通りの英訳のあとには、それぞれの翻訳の難点を論じる一節が続く。 次いでギルは19世紀の俳人子規の作品で、これに関係のある句を二つあげ、それが天気へ食べ物へ、はては[海鼠日和]という俳句の季語のきまりについての吟味を展開する。 しかも彼は自由自在に飛躍する脚注の名人なのだ。 つられてときにページ下部の脚注から脚注へと飛び読みしたりしながら、文学についても日常生活についても必ず信頼でき、しばしば愉快でもある彼の日本文化観に私は舌を巻くほかなかった。 なにしろ徹頭徹尾ナマコが句題の俳句を集めた本と聞けば当然期待される(事実そのとおりの)風変わりな点はともかく、著者はくろうとの俳人であり、文化と文化間の違いを機敏に理解しながらものを読むことのできる優れた才能に恵まれた魅力ある評論家である。 興味津々の本書は、広く俳句愛好家、日本文学と海洋生物の研究者、プロ,アマをとわず翻訳家のすべてに喜ばれるにちがいない。
スミス・カレッジ日本学部長 |
このペイジの一番下は、日本人の鑑賞。ここは、先ず一投稿。 |
俳句観が変わる!, 2004/01/21 |
「浮け!」の初書評。無名本を取り上げた名ある評者の勇気も脱帽。 |
Modern Haiku
現代俳句(2004年冬春 35.1号)Haiku
World
の著者 大書評その二 「俳句」をただの「短い詩」だと思っている人は、必ずや本書を手にしてほしい。 『 Rise, Ye Sea Slugs(浮け、海鼠)』という本書のタイトルは、俳句の 大家、小林一茶の海鼠の句にちなんだものである(ギルは一茶の句の各々に幾通りもの英訳を試みている。英題もその中の一つの第一行)。
本書にあるように、俳句というのはそう単純なものではない。ギルは私たち読者を、俳句の持つ「複雑さ」の中へ深く誘ってくれるだろう。その複雑さこそが、日本の俳句を世代から世代へと継承させるに値させるような「ある本質=ガッツ」に、深く寄与しているのである。本書は確かに、俳句の「はらわた=ガッツ」についての、そして「このわた(海鼠腸=ガッツ)」についての本である。海鼠腸──掴み難く、曖昧でとりとめがない。俳句の伝統の本質(ガッツ)とまさしく同じである。 ギルの主張は正しい。日本の佳句・秀句には、各々に複数の解釈が可能である。(中略)それだけ多くの含みを、ただ一通りの訳句に込められると考えるのは、翻訳者の傲慢である。(中略)ギルは平行多訳(multiple-translation)の試みの正当性を巧みに論証している: 「多面体のような句意の全面までも、機知に富む、つまり簡潔な形式に翻訳するには、しばしば平行多訳でゆくしか手がない。原句の持つすべての情報をたった一つの訳句に押し込めようとすると、重くなりすぎて、「詩(ポエム)」として損なわれる。かといって、原句のもつ情報の多くを翻訳しなければ、その真の意図は伝わらない。(残念ながら、これは現在の俳句翻訳おいて一般的な行いだ)訳者を過失罪とよんでもいい。」 (中略)ギルは、おそらくジャック・スタム以来、日本の俳句について、誰よりも良く理解している。彼の俳句(さらに川柳、時折は短歌や狂歌)に関するコメントは、いままでに活字となったものの中で、最も興味をそそられるものである。 二つの言語の経験豊かな研究者として、ギルは彼が取り組む原典の解釈をよりいっそう深めるために、驚くべき量の資料を掘り起こしてきている。
彼は一つの俳句が完全に理解されるのに必要だと思われる数だけの別案翻訳を提示することをためらわない。そして、特定の句に関してはまだ充分に翻訳しきれていないということを恐れずに認めている。 一人の翻訳者として、わたしはギルの俳句翻訳に対する姿勢は刺激的で挑戦的であると思う。彼は「翻訳者の原作に対する責任」(「対応する力」= ロバート ダンカン)という点で、果たすべき水準をきわめて高いところまで引き上げてきているのだ。 この単一季語の大著は、日本の俳句文化の迷宮への、今までで一番優れた英語の窓口であろう。 もし、ヤスダやブライスや、ヘンダーソンやウエダやシラネ*[訳者注:過去半世紀の俳句英訳名家]を読んだことがあるなら、ギルもお読みなさい。あなたの意識を深く広く拡大させてくれるから。そして、先の方々の著作を読んだことがないのなら、やっぱり先にギルをお読みなさい。彼のほうがずっとおもしろいから。
William J. Higginson(ウィリアム ・J・ ヒギンソン) は、 英語の現代俳句や歳時記に関する超一流の編集者/書評家/研究家/翻訳家/普及活動家。代表作は 「Haiku World / 俳句の世界」:国際詩年鑑 (1996)
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推薦文推薦文推薦文推薦文推薦文推薦文推薦文推薦文推薦文推薦文 |
日本の帯推薦に等しいBlurbというものです。いずれは、著者への手紙の中から抜粋した正直な感想であり、出版社に依頼された、あるいは買った推薦文ではありません。 文学者の評 =「これほどいじらしく、愉快で、博学な本、あらゆる点においてこれほど楽しく読むことができた本は、何年ぶりでしょうか。日本詩歌の捉え方も、いままでみたことがないほど知的で優れています」 Liza Dalby女史 = 小説『紫式部物語』(岡田好恵訳、光文社)を世界8ヶ国で出版。ほかに優雅な着物学「Kimono」、体験録+分析の「Geisha」など著書多数。文化人類学者、ライター。在California. 科学者の評 =「凄い!惚れてしまった。小柄な我が友を何年も研究してきたが、悪態をつかれるか、さもなければ忘れられた存在でしかない、と思っていた。ナマコ文学をめぐる日欧の差! 悲しいかな、互いに隔てられた科学と文学には、理論においてはむろんのこと、用語上ですら、とてつもないギャップが隋所にみられる。両者を深いところで見事に融合した本で、科学者も納得させる。恐れ入りました。」 Alexander Kerr 博士 = Web of Lifeプロジェクトの海鼠科担当、独語の海鼠研究(古典)の英訳、環境進化論の研究に従事する気鋭の生物学者。エール大、バークリー大を経て、現在James Cook大学属。 |
白状です = 下記の日本語書評は、アマゾン投稿で、友人ばかり。 |
海鼠のように面白い!, 2004/02/06 レビュアー: ミホコ California USA 通読するのがもったいなく、寝酒のように、夜寝る前にちびちびと適当なページを読んでは海鼠の迷宮に迷い込んで楽しんでいます。読者に贅沢をさせてくれる本です。 最初、俳句だけを読んだときは、なんて玉石混交なんだろうと思いましたが、読み進むにつれ、俳句の多面性と海鼠の象徴的な多面性を同時に明らかにしたいという著者の意図がよくわかり納得しました。博識な著者の語りにも知的刺激を受けて楽しいです。 また、翻訳のあり方について、著者の思考経過について、読むのも面白く、こういうことを明かしながら書いていった本はあまりないかもしれないと思いました。本自体もまるでネットから飛び出してきたような感じで・・・多くの句をネットから取材したからという意味ではなく、読者に開かれていて、これからどんどん膨張していく可能性を秘めているという意味で、新しい本のあり方かもしれないと興味深く思いました。 |
あっぱれ!素晴らしい!, 2004/01/07 レビュアー: カスタマー 埼玉県 海鼠(ナマコ)を歌った俳句が900以上も収められた上に、そのすべてに風情やユーモアたっぷりの英訳がつけられています。中には、三つも四つも英訳のついた句もあって、英語のステレオ効果も楽しめます。句の分類の仕方や、縦横無尽で詳細な解説は、柔軟でユニークで、比較文化論の達人ロビン・ギル氏ならでは。日本文化を知りたい英語圏の人々に、また俳句の愛好家や、英語を勉強している人々にも絶好の一冊になるでしょう。(教科書として、参考書として、辞書・事典としても、素晴らしい!) それにしても、まったく驚くべき博覧強記。その日本語への深い理解は現代の小泉八雲(Lafcadio Hearn) と呼びたいほどです。とにかく、あっぱれ! ギル氏のサイト "P A R A V E R S E . O R G" では、読者参加で正誤表を作っているようなので、皆で協力して、素敵なデータベースができるといいなと思います。 |